「医療事故編の後編。とある病院で心臓手術の結果、患者が死亡。調査に乗り出した真奈子(松雪泰子)は病院の隠蔽があるのでは?という疑惑を感じるが証拠は無く、事故調査委員会の委員長である守康(寺脇康文)ともなにかにつけて対立し、大苦戦。手術の再現実験も失敗したが、謎の電子メールで送られてきたのは、手術中に心臓が突如炎上する動画だった。心臓が燃えた理由は何か?隠された真実を求めて、真奈子の反撃が始まる。」(HPあらすじより)
ネタバレを防ぐべきなのかどうか分かりませんが、守康弁護士がキャラをガラッと変えたのが驚きでした。もっとも、ドラマ通によれば、寺脇さんが悪人役になるはずがないので、予期された結果であったようです。私、失敗しました。
それはさておき、今回のミスについては、元ネタと思しき「ヒューマンエラーは裁けるか」(シドニー・デッカー著)にも同じようなものがあります。同書でプロローグとして紹介されたのは、濃度20mg/mlのキシロカインが入った箱を取り出すべきところ、誤って濃度200mg/mlのキシロカインが入った箱を取り出して点滴準備をしてしまった看護師の話です。結果、その点滴を受けた女児は〇〇中毒で死亡し、看護師は業務上過失致死罪で有罪となりました。
同看護師は正直に事故報告を上司に行い、そのことが過ちを認めたとみなされ、起訴につながりました。背景事情としては、医師の処方箋が手書きで読みにくかったこと、あるいは小児科スタッフの確認不足などがありましたが、医師や小児科スタッフは起訴されず、そのことが看護師の刑事手続きで考慮されることはありませんでした。看護師は処方箋を持ち出す権限がなく、手書きの処方箋は裁判までの間に紛失していました。
同書の引用ばかりで恐縮ですが、問題提起はこうです。
「(医師は)ミスの起こりやすい処方業務の手順に対して医師が果たすべき役割を自覚したことがなかったのだろうか? 静かな日曜の朝、勤務時間中に仮眠を取ったことや、ささいな理由で起こされるとひどく機嫌が悪くなることについてはどうか? キリロカインの処方箋を印刷するために立ち上がって、3メートル歩いて別のコンピューターを使うことをせず。代わりに走り書きで処方箋を書いた点についてはどうか? 他にも、女児が点滴を受けて衰弱し、呼吸困難に陥った何回もの危機的状況に医師が現れなかったことや、毒性の強いキシロカインを何度も繰り返し投与する指示をしたことはどうなのだろうか?・・女児が死亡した後に、処方箋を持ち出したのは誰なのか? いったい誰が、小さな子供ではなく、大きな成人を治療するために設計されたICUへ小児科病棟から子どもを移そうと考えたのだろうか? これらの「真実」は明らかにされないのだろうか?」
刑事手続で被告人がこれを主張しても、責任転嫁とみなされるだけで終わるかもしれません。しょせん、被告人も何らかミスをしたこと自体は確かである以上、被告人に責任がないとは言いにくいからです。
その結果どうなるか。起訴されたら終わりなので、起訴されないようにするでしょう。極力上司にありのままを報告しないようになるでしょう。処方箋だって隠そうと思うでしょう。結果、事件の背景は何も明らかにならず、同じような事故が起こり続ける。
刑事事件で真実を明らかにするとは言いますが、ヒューマンエラーの再発を防止するという観点からは、刑事手続は驚くほどに無力です。むしろ有害かもしれません。それゆえ、民意責任追及も民事責任追及も目的とせず、ただ、ヒューマンエラーの原因を究明して事故の再発を防止する。そのためにあるのがジコチョーです。
ドラマでは看護師はただ泣いているだけでしたが、実際にはその後厳しい運命が待っているでしょう。しかしながら、看護師を責めるだけでこの事件の再発が防止できるのか、是非とも考えてみて下さい。